日本水上学園の由来

日本水上学園の由来


現在のように港湾施設が整備されていなかった第二次世界大戦前後の横浜港では、艀(はしけ)が重要な役割を果たしていました。艀の船頭さんは「ダルマ船」の中で家族と一緒に生活していたので「水上生活者」と呼ばれていました。

水上生活者の子どもたちは、仕事の性格上、住所が定まらず生活時間がまちまちで就学年齢に達しても通学することが困難なため、義務教育も受けられない状況が続いていました。

そのような子どもたちを目にした、熱心なクリスチャンであり、優れた教育者であった伊藤傳(つたえ)先生は、1942年(昭和17年)7月、艀の子どもたちを預かり教育する学校を創設しました。そして、対象児童が水上生活者であることと、日本一立派な学校にとの願いから「日本水上学校」と命名しました。

終戦後しばらく艀が活躍しましたが、港湾施設の近代化により需要も少なくなりました。また、船の上での生活は常に危険が伴い、住環境上も問題が多いため、次第に港湾住宅などに移り住み、水上生活者はいなくなりました。

これらの経過から、日本水上学校も発展的に解散し、学校部門は学校法人「聖坂養護学校」、宿泊部門は社会福祉法人「日本水上学園」となり、それぞれ独立して、時代の要請に応じた子どもたちのための学校と福祉施設としての役割を果たしています。

水上生活1水上生活2